歴史

シベリア抑留を知る

小さい選択を何度も重ねると、いつの間にか大きな分岐点を越えてしまっていることがある。
集団的自衛権の行使容認が閣議決定されたことで、僕たちの国は戦争への小さな選択をしてしまったのだろうか。
アーティストを名乗るならば、そういった社会の変化を敏感に察知して、クリエイティブな方法でそれを打開する活動をしていかなくてはいけないと思うになった。
もはや無関心な態度はしていられない。

とはいえ、僕は政治に関しても戦争に関しても知識や経験が皆無に等しいので、自信を持って意見を表明できるように少しずつでも勉強していこうと思う。

先日、その第一歩として、シベリア抑留の体験をされてそのときの想いを墨絵と俳句の作品に宿す本間喜市さんの講演会を聴きに行った。

 

シベリアでの出来事

そもそもシベリア抑留とは何か。恥ずかしながら僕は昔社会の授業でチラッと触れた程度のおぼろげな記憶しかなかった。

さて、ウィキペディアの「シベリア抑留」の冒頭では次のように綴られている。

シベリア抑留(シベリアよくりゅう)は、終戦後武装解除され投降した日本軍捕虜らが、ソ連によっておもにシベリアに労働力として移送隔離され、長期にわたる抑留生活と奴隷的強制労働により多数の人的被害を生じたことに対する日本側の呼称。
一般的には「シベリア抑留」という言葉が定着しているが、実際には現在でいうモンゴルや中央アジア、北朝鮮、カフカス地方、バルト三国などソ連の勢力圏全域や中華人民共和国に送り込まれていた。現在でも、それらの地域には抑留者が建設した建築物が残存している。彼らの墓地も各地に存在するが、現存するものは極めて少ない。
厳寒環境下で満足な食事や休養も与えられず、苛烈な労働を強要させられたことにより、多くの抑留者が死亡した。このソ連の行為は、武装解除した日本兵の家庭への復帰を保証したポツダム宣言に背くものであった。ロシアのエリツィン大統領は1993年10月に訪日した際、「非人間的な行為に対して謝罪の意を表する」と表明した。
「シベリア抑留」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』(http://ja.wikipedia.org/)2014年7月14日21時(日本時間)現在での最新版を取得

さらに具体的な数を知ると愕然とする。
シベリア抑留で犠牲になった方の人数については諸説あるが、ウィキペディアでは約107万人の日本人が強制労働させられ、約34万人が非業の死を遂げたという。
そこでは一体どのような悲劇が待ち受けていたのだろうか。

 

本間さんが語る悲劇と光

本間喜市さんの作品

本間さんの体験談は、平和な日本で育った僕には想像もできないほど過酷なものであった。
例えば、仕事を振り分けるために軍医が抑留者を全裸にさせて尻の肉をつまんで体力を測る話であったり、苦境に追い込まれた親が断腸の思いで我が子を絞め殺して埋める話であったり、亡くなられた人を埋葬場所まで運びやすくするために極寒の軒下に遺体を一晩放置して凍らせる話であったり‥。
極限下に置かれると人間はこうも豹変するのかと絶望的な気持ちになった。
戦争は人間の崇高な部分を根こそぎ破壊していくのだ。

ただ、そんな悲惨な世界でも、一点の輝く作品があった。それは本間さんが美しいロシア人のワンピース姿を見てとてもまぶしいと感じたという昂揚を表現した絵だ。
そこから、何とも人間とはどんな苦境でも光を見出せる強さがあるんだなあという希望を感じることができた。

歴史を学ばない者は同じ過ちを繰り返す。だから、僕たちの世代が悲劇の記憶を永遠に伝えていかなけらばならない。そう強く感じた。

本間喜市さんの作品

※写真はご本人の許可を得て掲載しております。
(2014年7月13日 介護老人保健施設「いぶき」にて)

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