これを書いている今、福岡県と大分県に大雨特別警報が出て、大変なことになっているとニュースが報じている。
横浜は、昨夜は台風3号の影響で荒れた天気だったけれど、ここ最近は綺麗な夕焼けが続いている。
踊り狂う雲に太陽の光が差し込む幻想的な空。
電車から見える夕暮れの景色が好きで、これは撮りたいと思ってついつい途中駅で降りてしまう。
さて、先日、銀座にある森岡書店で行われた「川内倫子×小林エリカ」のトークイベントに行ってきた。
川内倫子の写真集は毎回楽しみにしている。
写真集『うたたね』に出会った衝撃は忘れないし、今も大切にしている。
彼女の写真の編み方はなんというか静かな魔法のようで不思議な感覚が生まれる。
トークがはじまる3時間前に先行販売の新作写真集『Halo』を手に入れ、近くのカフェに入り読みふけった。
(ここから先は、本の内容に触れるので、知りたくない人はざっと次の写真のところまで飛ばしてくださいな。)
手にとってみて、まず本のデザインの美しさに驚く。
厳かな黒に包み込まれた外側。
きらめくプリズムの箔押し。
小口も真っ黒。
内側も真っ黒。
独特の香り。
印刷はしっとりと美しい…。
圧倒的な闇(=死)に支配された世界を作り上げることによって、光(=生)のきらめきや儚さ、群れをなした時の力強さや恐ろしさがありありと浮かび上がってくる。
何度かページを行き来きすると、やがてそれぞれの写真が結びつき、言葉にするのは難しいけれど、なんとも言えないものを感じる。
灯樹花(中国・河北省の村の祭り)の何千と飛び散る火花のカットはすごい…。
火花ひとつひとつが一人ひとりの命のメタファーに感じて、人類の命をまとめて感じるような途方もない感覚が襲ってくる。
心は自分の身体を離れ、神というものがあるのならば、その視点で宇宙を見ているようだ。
そして、光の点にすぎない自分の身体にもどるとき、なんとも言えないすがすがしさを感じる。
なんだろう…。どうせ光の一粒であるのなら、精一杯自分らしく光ってやろうじゃないかという諦めとは違うなにかのような。
読み終わって(まだまだ読み足りないけれど)、静かな店内から銀座の雑踏に出ると、突然不思議な感覚が降ってきた。
道行く人々が光の点のように見えたのだ。
銀座の街中が光で満ちあふれていた。灯樹花の火花のように…。
外は真夏のようなもわっとした暑さ。
16時を過ぎて写真家・川内倫子と作家、漫画家・小林エリカのトークイベントが始まった。
おふたりのそれぞれの作品制作の動機やアプローチ方法なんかをじっくり聞けてとても面白かった。
会話の中から拾った宝石のような言葉をいくつか紹介。
(書き殴られたメモと雑念に溺れそうな記憶を頼りに、僕の多少の解釈が入ってしまっているのはご容赦くださいな。)
「撮る時は反射。フィジカル。集中力。」
「自分が昨日見たものが紙という物質に着地する面白さ。」
「(写真を編んでいくとき)自分の中にある波に合わせる。ページをめくっていくときに手が止まる(その違和感はなんだろか考える)。網ですくうようにいらないもの排除していく。リズム感。」
(川内さんは網に残る方に注目する一方、小林さんは網からこぼれ落ちるものに執着するという話も)
「タイトルも本の中の一枚の写真のように。」
「展覧会はフィジカルな体験。」
「ポエティック。すきまがあること。」
「空気をつかむ。すとんと落ちる。」
「自然への畏敬。神をみる。」
「自然から離れると怖くなる。(大自然に)通うことは(心の)大掃除。」
「地球に立っているという実感がガソリン。日々を支えている。」
「現地に足を運ぶことで自分の肉になる。(向かっている途中)考えることでだんだん形になる。」
「シンクロニシティ。物語が底辺で繋がっている。潜在意識。膨大なつながり。」
「誰かの目を通した物語。日常の延長に巨大なものが繋がっている。」
「見えないものに対してどうアプローチするか。」
「普段忘れていることでも(実は心の中に眠っていて)、他人の記憶がトリガーとなって引っ張りだされることがある。」
「子供時代の大人社会への疑問。」
「伝えたいものは一貫している。作品ごとにどこに傾くかが違う。」
トークイベント後に、僕が『Halo』を読み終わったあとに感じた不思議な感覚のことを川内さんにお話しすると、それは見てみたい!いい話を聞けたとおしゃっていただきなんだか嬉しかった。
生きるのは大変なことだ。
世界はあまりに不確かすぎる。
だからこそ、僕たちは芸術や物語の世界に、辛い日常を超越した“不思議な感覚”を求めてさまようのかもしれない。